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ぽってりとした姿が愛らしい「琉球ガラス」。程よい厚みがあるため、壊れにくく扱いやすいうつわです。伝統工芸品の琉球ガラスは“廃瓶”を再生して作られており、沖縄の生活に使用するうつわだけではなく、沖縄土産の定番としても注目されています。本記事では、琉球ガラスの歴史や作り方、独特な色について詳しく解説していきます。ぜひ、参考にしてください。

琉球ガラスとは、沖縄の伝統工芸品のひとつです。とはいえ、沖縄の伝統工芸の中でも歴史が最も浅く新しい工芸品とも言えます。また琉球ガラスは、廃瓶を使用して形成しているため、再生ガラスにしか出せない温かみが特徴といえます。

1690年に那覇市の円覚寺にある「開山和尚像」が掘られた際、義眼焼玉(ガラス玉)が用いられたことで沖縄へガラス製品が初めて伝わりました。そして明治時代に入るまで、本土よりガラス製品は沖縄へ運ばれていましたが、海上運輸にてガラスが運ばれていたため破損することが多かったと言われています。
そこで明治時代の中期、長崎や大阪からガラス職人を沖縄へ招致し、一升瓶や醤油瓶などの廃瓶を原料として、主にランプの火屋(ほや)や、つけもの瓶の生産が始まりました。
第二次世界大戦中に起こった、沖縄本土・奄美大島・宮古島・石垣島・他周辺離島を襲った無差別空襲(10・10空襲)により、ガラス工房は壊滅的な被害を受けました。そのため、戦前の琉球ガラスはほとんど残っていません。
戦後、駐在兵やその家族から日用のうつわの注文が入ったのですが、原料が不足していたため作りようがありませんでした。そこでガラス職人たちは、米軍が廃棄していたコーラやビールなどの廃瓶を原料として、ガラス製品を生産しました。
当時の製品は、サラダボールやパンチボール、ワイングラスやシャンパングラスなど外国人の生活様式に寄り添ったものが多く注文されていました。

1972年に沖縄が本土に返還されました。1975年、沖縄返還を祝った「沖縄海洋博覧会」の開催をきっかけに本土からの観光客が増加しました
観光客の増加に伴い、土産物として琉球ガラスの需要が高まることに。この時期から、廃瓶の代用品として着色された「原料ガラス」を用いて制作するようになりました。
そして1998年、沖縄県から「伝統工芸品」として認定されたのです。
厚生労働省は、「琉球ガラス」伝統工芸で秀抜した技術を保有しているとして、1994年に稲嶺盛吉、2001年に桃原正男、そして2019年に上原徳三が現代の名工(卓越した技能表彰制度)に選ばれました。

琉球ガラスの製作工程は一般的に6つの工程で進めていきます。
琉球ガラスは主に、「宙吹き」と「型吹き」の2つの技法で作られています。宙吹きとは、中空の竿(さお)の先へ溶けたガラスを付け、息を吹き込んで空中でふくらませながら成形する技法です。
また型吹きとは、「かたぶき型」に溶けたガラスを入れ、吹き竿で空気を送り込み成形する技法です。宙吹きで作ると基本的に丸い形となりますが、型吹きではさまざまな形の製品が作れます。
装飾の技法もいくつかあります。ガラスが1000~1200度のとき、水に浸すことで細かいひび割れの模様が入る「アイスラック」。ガラスに砂(研磨剤)を吹きかけて表面をすりガラスにする「サンドブラスト」などの技法もあります。また、窯の中で溶けているガラスに重曹を加え、わざと味のある気泡を生み出すこともあります。

琉球ガラスの「色」は調合する原料により異なります。琉球ガラスで良く製作されているライトラムネ色は、窓ガラスを再利用したものです。窓ガラスは無色透明に見えますが、実はうすく色が付いています。
また茶系の琉球ガラスはビール瓶や泡盛の一升瓶などから作られており、グリーン系はセブンアップの瓶や、シークワーサーの果汁が入った瓶が原料となっています。

琉球ガラスの特徴は“廃瓶”を使用した再生ガラスです。ほかのガラス製品のような透明感や繊細さは琉球ガラスにはありません。むしろ、くすんだ色合いや一つひとつ個性が際立つ気泡など、意に介しない素朴で味わい深いところが魅力です。ぜひ日常の暮らしで使ううつわのひとつとして、琉球ガラスを手に取ってみてはいかがでしょうか。