ベルリンの壁はなぜつくられ崩壊した?
経緯と現存する展示場所をわかりやすく解説

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11月9日にベルリンの壁が崩壊してから33年が経ちます。ドイツに限らず、第二次世界大戦後の世界の動きと、その時代を乗り越えた歴史が感じられる象徴的建造物です。ドイツに訪れたらぜひ一度は見たいベルリンの壁ですが、建設された経緯や崩壊までのストーリーを知っている方は少ないのではないでしょうか。今回はベルリンの壁の概要をわかりやすく解説し、今でもベルリンの壁が見られるスポットをご紹介します。

ベルリンの壁とは

本記事ではベルリンの壁の歴史についてわかりやすくご説明します。その前に、ベルリンの壁の簡単な基本情報を押さえておきましょう。

ベルリンの壁の概要

ベルリンの壁記念碑

ベルリンの壁は1961年8月〜1989年11月までの28年間、東ドイツのベルリンに存在した壁です。ベルリンは東西に分断され、西ベルリンを囲むように壁が建設されました。当初は鉄条網が設置されましたが、たった3日で戦争の瓦礫を使用した壁に姿を変えます。一層強度を高めるために4度も改装を繰り返し、最終的に高さは3m〜6m、長さは155kmにもなりました。東ドイツ市民の亡命を阻止するための壁ですが、亡命者は後を絶たず、市民の大規模な反発の末、1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊しました。

ベルリンの壁がつくられた経緯

ベルリンの壁は冷戦の始まりと終わりを象徴する建造物と言われますが、なぜベルリンに壁が建設されたのか、ここではその経緯をわかりやすくご説明します。

なぜベルリンは東西に分断されたのか

ベルリンの壁の地図

ベルリンが東西に分断された理由は、ソビエト連邦の社会主義派とアメリカ合衆国の資本主義派が対立したためです。1945年、ドイツは第二次世界大戦で無条件降伏しました。終戦まで独裁政権が続いていたため、戦勝国であるソビエト連邦・アメリカ合衆国・イギリス・フランスの4か国がドイツを占領。ベルリンはソビエト連邦が治める地域に位置しましたが、首都のため4か国で分割して管理されました。しかし社会主義のソビエト連邦と、資本主義のアメリカ合衆国・イギリス・フランスで政治的意見が合わず、両者が拮抗するようにドイツ全体とベルリンも、東部の社会主義側と西部の資本主義側に分断されたのです。

なぜ西ベルリンは壁で囲われたのか

ベルリンの壁検問所
チェックポイント・チャーリー(東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所)

東ドイツから西ベルリンを経由して西ドイツへ亡命する人流を断つために、西ベルリンは壁で囲われました。第二次世界大戦後にアメリカは、ヨーロッパの戦後復興のために経済支援策を導入。その影響で西ドイツの市民生活は豊かになる一方、東ドイツは困窮した生活が続き、東西に経済格差が生まれます。そのため東ドイツから西ベルリンを経由し、西ドイツへ移動する市民が増加しました。危機感を持った東ドイツ政府は、西ベルリンを支配下に置くためにインフラを断絶。しかし、アメリカが空輸で物資を供給し、西ベルリンの生活は守られました。目的を果たせなかった東ドイツ政府は、東ドイツ市民を留まらせるために西ベルリンを壁で囲い検問所を設置。通れるのはごく一部の限られた人のみで、一般市民が移動できる手段はなくなりました。

ベルリンの壁はなぜ崩壊したの?

ベルリンの壁崩壊は勘違いだったと言われますが、なぜそのような事態が起こったのか。ベルリンの壁崩壊の数年前の状況から、崩壊に至った理由をご説明します。

東ドイツでの反政府デモと周辺国へ人流が増加

ソビエト連邦

1985年以降、ベルリンの壁に対する反発運動が高まります。きっかけはソビエト連邦の政治経済改革です。1987年ソビエト連邦が東ヨーロッパへの軍事介入をしないと表明し、1989年にはドイツの周辺国が相次いで民主化。東ドイツでも勢いが増し、デモは60万人に及ぶほど大規模で、政府局員の手に負えないほど市民の不満は高まりました。周辺国にも東ドイツ市民が大量に押し寄せ、周辺国からもベルリンの壁が問題視されました。

突然の発表をきっかけに崩壊

ベルリンの壁を崩壊させる男性

1989年11月9日、政府局員の記者会見で突然ベルリンの壁を超えて自由に行き来する許可が発令されました。国民のデモ対応に迫られた政府は、旅行に関する規制緩和を目的とした新しい法案を、制限付きで検討していました。しかし政府局内はデモの混乱により情報共有ができておらず、閣議決定の前に政府局員が誤った内容を発表したのです。瞬く間に出国許可の情報が市民に伝わり、検問所は大混乱。検問が追いつかず体制が崩壊し、ベルリンの壁も崩壊しました。

ベルリンの壁は今どこで見ることができる?

ベルリンの壁崩壊から33年が経ちますが、壊されなかった壁は今でも大切に保管され、当時の様子を現代に伝えています。ここでは押さえておきたい3か所をご紹介します。

イーストサイドギャラリー

ベルリンの壁イーストサイドギャラリー

シュプレー川沿いにあるベルリンの壁で、全長1.3kmが今でも残っています。現存する壁の中で最も長い距離を誇り、ベルリンの壁崩壊後、平和や自由を願ってドイツ国内外のアーティストがアートを描きました。オープンギャラリーのため無料で見学が可能です。

ベルリンの壁記念館・ベルナウアー通り

ベルリンの壁記念館・ベルナウアー通り
壁跡に建つ壁と同じ高さのポール

ベルナウアー通りに残るベルリンの壁です。壁だけでなく、鉄格子や掘られたトンネルの場所を示すプレートが地面に記されています。厳重な壁の様子や監視塔、またベルリンの壁を越えようとして命を失った方々の礼拝堂や石碑なども展示され、屋外の展示物は無料で見学が可能です。

トポグラフィーオブテラー

トポグラフィーオブテラー:隣の通りにベルリンの壁がある

ナチスドイツの秘密国家警察であるゲシュタポ本部の跡地に建てられた展示館。隣接する通りにベルリンの壁があり、第一次世界大戦のナチスドイツ時代からベルリンの壁崩壊までの歴史が学べます。展示館は無料で、ドイツ語と英語のみですが説明文もあります。

ベルリンのおすすめホテル5選

ベルリンを訪れる際におすすめのホテルを5つ紹介します。どのホテルもベルリンの中心地ミッテにあり、ベルリンの壁はもちろん、他の観光スポットやショッピングにも便利な立地です。

Regent Berlin

出典:エアトリ

ロビーが大理石でラグジュアリーな印象の5つ星ホテルです。ブランデンブルク門に続く大通りに近く、周辺には各国の大使館があるような立地。ショッピング街のフリードリッヒ通りまでも徒歩で移動可能なため観光に適したホテルです。

Grand Hyatt Berlin

出典:エアトリ

日本にも系列ホテルがある5つ星ホテルで、客室はエレガントで落ち着いた雰囲気です。ポツダム広場や駅も近く、ショッピングモールが隣接しているため観光に適しています。周辺にはコンサートホールや美術館も豊富で近場でも十分楽しめます。

Grand Hyatt Berlin(グランド ハイアット ベルリン)
+49 30 2553 1234

Hilton Berlin

出典:エアトリ

客室が 601 室ある大型の5つ星ホテルで日本にも系列があります。落ち着いたカラーリングの客室が好印象。目の前のジャンダルメンマルクト広場では、クリスマスマーケットが開催されます。ホテル目の前に地下鉄の入口があり、移動が便利なホテルです。

Hilton Berlin(ヒルトン ベルリン)
+49-30-20230 0

THE MANDALA HOTEL

出典:エアトリ

ポツダム広場から徒歩3分の場所にある5つ星ホテル。客室の広さが40平米以上でミニキッチン付きが魅力的なポイント。シンプルで上品な雰囲気の客室です。大通りを挟んで反対側にショッピングモールがあり、駅、コンサート会場、美術館も近く、便利な立地です。

THE MANDALA HOTEL(ザ マンダラ ホテル)
+49 30 590 05 00 00

Hotel de Rome

出典:エアトリ

ドイツの三大銀行の一つであったドレスナー銀行の本部をリノベーションしたホテルです。歴史的建造物を活かしたクラシックな外観が特徴的。ブランデンブルク門、ベルリン大聖堂、博物館も近く、ホテルと観光の両方を堪能できるホテルです。

歴史感じるベルリンの壁をその目で

この記事ではベルリンの壁についてご紹介しました。ベルリンの壁の崩壊は世界の「平和・自由」の象徴とも言えます。歴史に触れられる貴重な場所が今も残っているため、ドイツに行く機会があれば、ぜひベルリンの壁に立ち寄ってみてください。

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エクセンス編集部
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