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日本一の生産量を誇る土鍋や、紫泥の急須が有名な萬古焼(ばんこやき)。その始まりは江戸時代の豪商が鎖国時代に思いを馳せた海の向こうの世界を描いた、異国情緒あふれる焼き物でした。「いつの世までも残るように」という思いを込め名付けられた萬古焼は、現代も親しまれ続け、その人気は国内だけにとどまりません。今回は、そんな萬古焼の魅力に迫ります。
萬古焼とは?
萬古焼とは、三重県四日市市と菰野町(こものちょう)を中心に作られている焼き物です。食器や花器などの生活雑器から、工業製品まで非常にバラエティー豊かな製品が多く作られています。中でも「四日市萬古焼」は、1979年に国の伝統工芸品に指定されました。
萬古焼の土鍋は、現在国内シェアの80~90%を占めており、各家庭に1つあると言っても過言ではありません。萬古焼土鍋の一番の魅力は、その優れた耐熱性です。土鍋の陶土には葉長石(ペタライト)という熱に強いリチウム鉱石が含まれており、空焚きや直火に対しても高度な耐久性を発揮します。通常、直火にかけることが難しいとされている陶器ですが、萬古焼の土鍋は直火・レンジ・オーブン・IHにも対応できる優れものなのです。
土鍋に続いて有名なのが「紫泥急須」です。鉄分を多く含む紫泥を使用し、還元という方法で長時間焼しめて出来上がる急須は、特有のあずき色の肌と使い込むほどに光沢が増すことが特徴。さらに、萬古焼の急須にはお茶の渋みを吸収して味をまろやかにする効果があるともいわれています。ぜひ、萬古焼の急須でお茶の味わいの変化を感じてみてください。
茶器に始まる萬古焼の歴史
萬古焼の起源は今から約300年前。江戸時代中期、茶の湯に通じていた豪商・沼波弄山(ぬなみろうざん)が自ら窯を開き、茶器を焼き始めたことが最初とされています。地名がそのまま焼き物の名称になっていることが多い中、萬古焼は弄山が「いつの世までも残るように」という意味を込めて「萬古不易」という印を押したことがその由来といわれています。
弄山の死後、後継者がおらず一時途絶えた萬古焼でしたが、江戸時代後期に古物商であった森有節・千秋兄弟により再興します。抹茶に代わって煎茶が流行し始めたこの時期、萬古焼の急須が誕生しました。
明治時代後期に半磁器の技術が開発されると、萬古焼の食器の生産量は飛躍的に増加しました。また、四日市市はこの時代、四日市港の開港や鉄道の開通により交通の便が著しく発達します。その立地をいかし、他の窯場に先駆けて玩具や食器など、色鮮やかな西洋人好みのデザインの陶器を数多く生産したことで輸出も大幅に増え、全国有数の陶磁器産地として発展を遂げたのです。
現在では土鍋や急須に限らずさまざまなテーブルウェアが作られ、国内はもちろん海外にもその市場を広げています。
萬古焼の特徴
萬古焼は陶土と磁土を合わせて作られ、陶器と磁器両方の性質を併せ持った「半磁器」に分類される焼き物です。そのため、非常に頑丈で割れにくく、耐水性・耐火性に優れています。
また、萬古焼には決まった型や技法がありません。そのため「萬古の印があることが一番の特徴」といわれるほど、自由な形や色をした多種多様な焼き物が作られています。
現代の萬古焼
300年の歴史を持つ萬古焼は、伝統を受け継ぎながらも時代に合わせて変化してきました。現代では、デザイン性・機能性の両方を兼ね備えた魅力的な日用食器が数多くの窯元で作られています。伝統とモダンが融合した現代の萬古焼の窯元をご紹介します。
「土本製陶所」
デザインから仕上げまでひとつひとつに手間がかけられている土本製陶所の器は、あたたかみのある雰囲気と使い勝手の良さが特徴。伝統を受け継ぎながら、現代に生きる私たちが毎日手に取りたくなるような器づくりに励んでいます。
「藍窯 堀内製陶所」
菰野町にある御在所岳のふもとで陶業を営む窯元「藍窯 堀内製陶所」。木綿を代表する色であり、焼き物に色をつける呉須の色でもある『藍』の字を擁した窯名には、そんな木綿の感覚を日常の器に取り入れたいと言う願いが込められています。常に新しい感覚を取り入れながら、伝統に根ざした製品づくりを目指しています。
毎日の食卓を、楽しく華やかに
土鍋や急須は持っていたけれど、食器は使ったことがないという方も多い萬古焼。実は、テーブルを華やかに彩る魅力的な食器たちが現在も多く生産されているのです。丈夫で耐火性に優れた萬古焼は、お料理の幅を広げ毎日の調理を心躍る素敵なものにしてくれるでしょう。ぜひ、日常に取り入れて彩り豊かなお食事を楽しんでみてください。
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