当サイトではアフィリエイトプログラムを利用しています。
大分市と別府市の間の山間部に佇むひなびた湯治湯から、人気温泉観光地へと生まれ変わった由布院。湯布院という表記もありますが、どちらも間違いではありません。今回は由布院の歴史・伝説、その魅力に迫ります。湯の坪街道から奥に入った、由布院が本来もつ魅力がたっぷりつまった小径や裏道もご紹介しますので、旅の計画を立てている方はぜひ参考にしてみてください。
由布院の歴史をおさらい!湯布院との表記の違いの理由とは?
由布院の雰囲気や趣きが根付き、人気観光地となったのは平成になってからのことです。今では「観光辻馬車」「ゆふいん文化・記録映画祭」「スカーボロ」などでも知られる、人気温泉地となりました。もともと昭和30年に由布院町と湯平村が合併して誕生したのが湯布院町です。その後、平成17年に庄内町・狭間町・湯布院町が合併して由布市が誕生しました。どちらの表記も使用されていて、間違えではありません。
そのため今では「ゆふいん」という表記も増えています。駅の名前は由布院と表記されている点は、覚えておきましょう。由布市では景観の保存に努めており、過度の開発はされておらず里山の雰囲気を残した素朴な景観を楽しめます。
由布院にまつわる伝説の地「金鱗湖」
由布院のシンボル的な存在が、湖底から湧く清水と温泉が混じる金鱗湖です。この金鱗湖には、宇奈岐日女にまつわる伝説があります。かつて由布院盆地は大きな湖だったとか。由布岳の化身である宇奈岐日女が里人に肥沃な土地を与えるため、権現に命じて湖の縁を蹴り裂き、干上がらせました。その際に湖の底に棲んでいた龍は困り果て、この地を守ることと引き換えに天祖神社に安住の地を願い出て、岳本の池を残してもらったということです。これが現在の「金鱗湖」にあたります。
伝説によると、その後実り豊かな由布院盆地を手に入れた里人は、日女神を恩人として宇奈岐日女神社を創建してお祀りしました。一方の権現は、蹴裂権現社にお祀りされています。
由布院の楽しみ方は小径・裏道散策がおすすめ
由布院のメインストリート・湯の坪街道を一本奥に入ると、そこにはのどかな田園風景が広がっています。豊後富士とも呼ばれる由布岳の勇壮な姿を仰ぎ見つつ、大分川沿いに整備された「ゆふいん自然遊歩道」を歩いてみるのがおすすめです。360度に広がる里山と由布岳のパノラマビューは、まさに絶景。
春には御幸橋から城橋にかけて、桜並木も見頃を迎えます。四季折々の由布院の風情を楽しむなら、ぜひ裏道散策も散策の計画に入れてみてください。
農村の風景が残る由布院でしっとりとした情緒を楽しもう
豊かな土地の恵みは、由布岳の化身・宇奈岐日女が権現に命じて里人にもたらしたものだという伝説とともにある由布院。日女神ゆかりの金鱗湖や神社、一本裏道に入って由布岳を見ながら大分川沿いを散策するのが由布院の楽しみ方です。大規模な開発を避けて景観整備に力を入れている由布院を訪れ、素朴でしっとりした情緒を楽しんでみましょう。
当サイトではアフィリエイトプログラムを利用しています。