TRAVELCULTUREヨーロッパ

まだ知らないポーランドへ。
西部で出会う3つの世界遺産

Writer: 小坂 伸一
まだ知らないポーランドへ。 西部で出会う3つの世界遺産

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ポーランド西部には、華やかな観光都市とはひと味違う、歴史と文化を物語る世界遺産がある。20世紀を代表する巨大建築、宗教の自由を求めた時代に生まれた木造教会、そして国境を越えて広がる美しい庭園。時代も背景も異なる3つの場所を訪ねると、ポーランドが歩んできた複雑な歴史と、そこから生まれた独自の文化が見えてくる。今回は、その魅力をたどる西部の旅へ。

ヴロツワフ百年記念館外観・木造平和教会・赤レンガの歴史的建築

第1章 鉄筋コンクリートの可能性を切り拓いたヴロツワフの「百周年記念ホール」

[ヴロツワフの百周年記念ホール:2006年世界遺産登録]

百年記念館の正面外観(石畳の広場と青空)
ヴロツワフ東部の緑地に建つ百周年記念ホール。巨大なドームを持つ建物は、鉄筋コンクリート建築の発展を示す重要な作品である。

博覧会の象徴として生まれた革新的建築

ポーランド南西部に位置するヴロツワフ。オドラ川と12の大小の島々、112の橋が独特の景観を生み出すこの街は、異なる文化や宗教が交差してきた歴史を持ちます。現在は約90万人が暮らすポーランド有数の都市で、大学や企業が集まり、多様な人々が生活しています。そんな街に、20世紀建築の歴史を変えた世界遺産「百周年記念ホール」があります。

街の東部、オドラ川沿いの広大な緑地に建つ百周年記念ホール。1911から1913年にかけて、当時ドイツ帝国領だったブレスラウ(現在のヴロツワフ)に、建築家マックス・ベルク(1870〜1947年)の設計で建設されました。1913年に開催された「百年記念博覧会」の中心施設で、ナポレオン軍との「ライプツィヒの戦い」での勝利から100年を記念するとともに、地域の発展を示す役割を担いました。

百年記念館アリーナ内部の広角ショット
内部に広がる巨大な無柱空間。外観から想像していた以上の壮大さに圧倒される。放射状に広がるコンクリートリブが、ドームを力強く支えている。

鉄筋コンクリートが実現した巨大なドーム

この建物の革新性は、鉄筋コンクリートによって前例のない規模の大空間を実現したことにあります。当時はまだ大規模建築への採用が一般的ではなかった素材を使い、ベルクは直径65m、高さ42mの巨大なドームに挑みました。約6000人を収容できるホールを覆うドームは、完成当時、直径65mのスパンを持つ世界最大の鉄筋コンクリート製ドームでした。

施工にも新しい技術が取り入れられ、建物を囲む軌道上を走る電動塔とケーブルで資材を運び上げ、工事は約13カ月半で完成したといいます。装飾でコンクリートを覆い隠すのではなく、型枠の跡も含めて素材そのものを見せる設計も特徴です。構造と素材を建築の表情にしたこの建物は、初期モダニズムを代表する作品として評価されています。

ドーム上部の近接撮影(コンクリートリブ構造とオキュラス)
打ち放しコンクリートの梁が交差するドーム内部。素材の質感や継ぎ目、構造体の力強い造形を間近に見ることができる。

内部で実感する、無柱空間のスケール

実際に内部へ入ると、床面の中央に立つ人が小さく見えるほどのスケールに圧倒されます。頭上には肋骨のようなコンクリートのリブが連なり、巨大なドームを支えています。外観を眺めるだけでは分からない構造の大胆さを、内側から実感できる場所です。
多目的施設として計画されたホールは、現在もコンサートや展示会、スポーツイベントなどに利用されています。100年以上前に考えられた、さまざまな用途に対応できる大空間という発想が、今も生きているのです。

百年記念館のドーム天井・オレンジ色の客席・アリーナ全景・ロビー廊下
巨大なドームを支える放射状のコンクリートリブ(左上・左下)。無柱の大空間を囲む観客席(右上)や自然光を取り込む天窓を備えた通路(右下)にも、鉄筋コンクリートの可能性を追求したマックス・ベルクの設計思想が表れている。

ホールを取り巻く展示会場と日本庭園

世界遺産の登録対象は、ホール単体ではなく、周囲の展示会場を含む一帯です。人工池を囲む全長約640mのコンクリート製パーゴラや、建築家ハンス・ペルツィヒが設計したフォー・ドームズ・パビリオンなどが残されています。隣接するシュチトニツキ公園には、1913年の博覧会に合わせて整備された日本庭園もあり、当時のヨーロッパにおける日本文化への関心を見ることができます。

百年記念館周辺の噴水池と公園・緑の蔓に覆われたパーゴラ回廊
人工池を囲むコンクリート製パーゴラ。連続する柱と梁が、展示会場に独特の景観をつくり出している。

マックス・ベルクの遺産は、百年を超えて

ドイツ帝国時代のブレスラウに建設され、1913年の博覧会の象徴となった百周年記念ホール。第二次世界大戦を経て、街はポーランドのヴロツワフとなりましたが、ホールは戦火を免れ、現在も文化やスポーツの舞台として活用されています。

100年以上前、建築家マックス・ベルクは、当時新しい材料だった鉄筋コンクリートの可能性を追求し、巨大な無柱空間を実現しました。構造そのものを建築の表情とし、多くの人々を受け入れる大空間を生み出したその挑戦は、今も建物の中で実感できます。訪れる機会があれば、外観を眺めるだけでなく、ぜひ内部にも足を踏み入れ、そのスケールと構造の大胆さを体感してみてください。

百周年記念ホール(Hala Stulecia / Centennial Hall)

ul. Wystawowa 1, 51-618 Wrocław, Poland

+48713475150

10時00分~18時00分

月曜日

http://www.halastulecia.pl/

  • お出かけの際には、必ず最新情報を施設の公式ウェブサイトでご確認いただくか、施設にお問い合わせください。

第2章 厳しい制約から生まれた「ヤヴォルの平和教会」

[ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群:2001年世界遺産登録]

平和教会の外観(木骨造・鐘塔・観光客)
白い壁と黒い木組みが印象的なヤヴォルの平和教会。木や粘土などを用いた木骨造で建てられている。

信仰の自由を求めて課された厳しい建築条件

ヴロツワフから南西へ約70km。小さな町ヤヴォルに、外観からは想像できないほど豊かな空間を持つ木造教会があります。17世紀半ばに建てられた「ヤヴォルの平和教会」です。
この教会は、南へ約30kmの町シフィドニツァに残る平和教会とともに、2001年に世界遺産に登録されました。両教会は、三十年戦争後の宗教的・政治的な対立を背景に生まれた、シレジア地方を代表する宗教建築です。

平和教会の内陣全景(パイプオルガン・シャンデリア・修復足場)
ギャラリーを彩る聖書の物語。質素な外観から一転、内部には色鮮やかな絵画や華麗なバロック装飾が広がり、目を見張る光景が現れる。

1618年に始まった三十年戦争は、1648年のウェストファリア条約によって終結しました。当時のシレジアを支配していたカトリックのハプスブルク家は、プロテスタントの信仰を厳しく制限していましたが、スウェーデン側からの働きかけなどを受け、ヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフの3都市に教会の建設を認めます。

ただし、許可には厳しい条件が付けられていました。町の城壁の外で、大砲の射程距離内に建てること、石や煉瓦を使わず木や粘土、藁など耐久性のない建材を用いること、塔や鐘楼を設けないこと、そして1年以内に完成させること。信仰の場は認められても、伝統的な教会のような堅牢で立派な教会を自由に建てることは許されなかったのです。

この条件のもと、建築家で軍事技師でもあったアルブレヒト・フォン・セービッシュ(1610〜1688年)らが木骨造の教会を設計しました。現在の教会は1654年に建設が始まり、翌1655年に完成しています。

平和教会内部の多層式絵画ギャラリーとシャンデリア・説教壇
4層のギャラリーが内部を取り囲む。下から2層目には新約聖書の72場面、4層目には旧約聖書の71場面を描いた絵画が並び、1層目と3層目には貴族やギルドの紋章、風景画などが配されている。

外観からは想像できない華やかな内部空間

外観は簡素ですが、一歩中へ入ると印象が一変します。内部には4層のギャラリーが設けられ、約6000人を収容できる大空間が広がっています。

壁面を彩るのは、聖書の物語や地域の歴史を伝える数多くの絵画です。新約聖書から72場面、旧約聖書から71場面が描かれ、地元貴族の紋章や職人組合の紋章なども残されています。祭壇や説教壇、洗礼盤といった17世紀の調度品も見どころです。なかでも木彫の洗礼盤は1656年に設置されたもので、豊かな曲線装飾や人物のマスクを施したバロック様式。内部の金属製の水受けは1694年のものです。また、教会内には石製のエピタフ(墓碑)も残されています。もともとは教会を囲む福音派墓地に置かれていたもので、1855年の改修時に内部へ移されました。周囲の墓地は1972年に廃止され、現在は平和公園となっています。

金箔バロック様式の説教壇クローズアップと絵画ギャラリー
1670年に制作されたバロック様式の説教壇。白と金で彩られた六角形の説教壇を天使が支え、上部の天蓋には復活したキリストの像が立つ。レグニツァの彫刻家マティアス・クノーテの作品。
平和教会内の彫刻装飾された洗礼盤とラテン語碑文の墓碑
左は1656年に設置された木彫の洗礼盤。曲線装飾や人物のマスクが特徴的なバロック様式で、金属製の水受けは1694年のもの。右は、1855年の改修時に教会内へ移された石製のエピタフ(墓碑)。かつては教会周囲の福音派墓地に置かれていた。

興味深いのは、建設に使える材料や建物の形を厳しく制限されながら、内部には華やかなバロック芸術が展開していることです。木造の構造と豊かな装飾が共存する空間は、ルター派の信仰と当時の芸術表現が結びついた独自のものとなっています。

平和教会内部の多層絵画ギャラリーと金箔バロック式主祭壇・ステンドグラス
桟敷席を支える木造の骨組みと、植物文様で彩られた天井。木組みの構造に、聖書の物語を描いた絵画や華麗なバロック装飾が組み合わされ、独特の内部空間をつくり出している。

建築に刻まれた宗教と政治の歴史

建設当初は禁止されていた鐘楼も、宗教をめぐる状況の変化とともに、ヤヴォルでは1707年に設けられました。一方、グウォグフに建てられた平和教会は18世紀に焼失し、現在まで残るのはヤヴォルとシフィドニツァの2つです。

現在も礼拝の場として使われているヤヴォルの平和教会。350年以上の時を経た内部には、当時の人々が描いた聖書の物語や装飾が残されています。静かな町の一角に立つこの教会は、宗教をめぐる17世紀ヨーロッパの歴史を、建築と美術の両面から今に伝える貴重な存在です。

ヤヴォルの平和教会(Kościół Pokoju w Jaworze / Church of Peace in Jawor)

Park Pokoju 2, 59-400 Jawor, Poland

+48516493990

10時00分~17時00分

–

http://kosciolpokojujawor.com/

  • お出かけの際には、必ず最新情報を施設の公式ウェブサイトでご確認いただくか、施設にお問い合わせください。

第3章 国境を越えて広がるムジャクフ公園

[ムスカウ公園/ムジャクフ公園:2004年世界遺産登録]

赤レンガのネオルネサンス式城館と前庭の芝生
ムジャクフ公園の景観を特徴づける建物の一つとなっている新宮殿。第二次世界大戦末期に焼失したが、2013年までに再建された。

自然を生かし、風景を描く

ポーランドとドイツの国境を流れるナイセ川。その両岸に広がるのが、19世紀に造られた約560ヘクタールの景観公園「ムジャクフ公園」です。公園一帯は、氷河の力で地層が押し上げられてできた弧状の地形と、かつての採掘跡に水がたまって生まれた湖沼群が見られる「ムスカウアー・ファルテンボーゲン世界ジオパーク」の一角にもあたります。

広大な英国式風景庭園・馬車と赤い城館の遠景
美しい芝生と、緑の木立の向こうに佇む赤い新宮殿。馬車がのんびりと通り過ぎる風景は、「生きた絵画」そのものだ。

造園を手がけたのは、ドイツのヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵(1785~1871年)。1815年から約30年にわたり、自身の領地で庭園造りに取り組みました。ピュックラーが目指したのは、花壇や生け垣を左右対称に幾何学的に整える庭園とは異なる風景でした。土地の起伏や川の流れを生かし、森林、草地、池、道、橋、建物を巧みに配置。歩く場所によって異なる景観が現れるように設計しました。周囲の農地や牧草地、町並みまでを風景の一部として取り込んだことも特徴です。

蔦に覆われた花崗岩の記念碑(ブロンズのレリーフ肖像)
ムジャクフ公園(ムスカウ公園)の創設者、ピュックラー侯爵を顕彰する記念碑。1901年に設置されたが、戦後の国境変更でポーランド側となり、移設された後、1991年に元の場所に戻された。

しかし、壮大な計画には莫大な費用がかかり、先代から引き継いだ負債も重なって、1845年にはムスカウの領地を手放さざるを得なくなります。ピュックラーがこの地を手放した後も、歴代の所有者たちはその構想を受け継ぎ、庭園の基本構成を守りながら整備を続けました。

開けた芝生と大木の英国式風景庭園
森の手前に広がる草地には、木々が2、3本ずつ並ぶように植えられている。開けた芝地と樹林の対比が、奥行きのある景観を生み出している。

19世紀の景観設計に新たな可能性を示し、その後のヨーロッパやアメリカの都市計画や景観建築にも影響を与えた独創的な景観設計が評価され、2004年、ポーランド語名の「ムジャクフ公園」とドイツ語名の「ムスカウ公園」は、国境をまたぐ一つの世界遺産として登録されました。

鉄橋と蛇行する川・緑の河岸沿いの遊歩道
第二次世界大戦後、ナイセ川が国境となり、公園はポーランドとドイツに分かれた。現在は両国が協力して保存・管理している。
スイレンが浮かぶ池と秋色の木々・奥に木橋
スイレンが浮かぶ美しい水面と木々が織りなす、絵画のように美しい景観。

自転車で巡る景観庭園

今回は自転車でムジャクフ公園を巡りました。森を抜けると草地が広がり、水辺や建物が視界に現れる。ペダルを踏んで進むたびに、風景が少しずつ姿を変えていきます。

巨木と小川・赤い城館と古木切り株ベンチ
左: 大地の息吹を感じさせる、水辺の気根たち。右: 新宮殿を望む特等席で、ひとときのやすらぎを。
スイレン池を見渡す木陰のデッキチェアで寛ぐ二人
自転車で公園を巡る。森を抜け、草地や水辺へ。進むたびに変わる景色を楽しむ。気に入った場所が見つかったら、自転車を降りて、しばらく景色に身を委ねてみよう。

広大な公園を巡るには、自転車が格好の移動手段です。一つの場所から全体を眺めるのではなく、走りながら、次々と現れる風景に出会っていく。地形や水、森林、遠くの町並みまでを一体の景観として生かしたピュックラーの構想は、移動することでいっそう鮮明に感じられます。森の木々の間を抜け、草地を横切り、また次の風景へ。自転車を走らせるうちに、森や草地、水辺が織りなす景観の豊かさと、その一つひとつが巧みに配置されていることを実感しました。

ムジャクフ公園(Park Mużakowski / Muskauer Park)

Łęknica, Lubusz Voivodeship, Poland / Bad Muskau, Saxony, Germany

+4935771630

10時00分~18時00分

–

https://muskauer-park.de/en

  • お出かけの際には、必ず最新情報を施設の公式ウェブサイトでご確認いただくか、施設にお問い合わせください。

庭園の町イウォワ
森の中に残る、ヨーロッパ最初期の日本庭園

木製鳥居と和風太鼓橋(日本庭園エリア)
日本庭園の入り口に立つ、木の風合いを残した茶褐色の鳥居。

ムジャクフ公園から南東へ直線距離で約34km。ポーランド西部の町イウォワには、20世紀初頭に造られた日本庭園が残されています。広大な自然の地形を生かしたムジャクフ公園とは趣の異なる、東洋の庭園文化を取り入れた空間です。当時、宮殿と公園を所有していたフリードリヒ・フォン・ホッホベルク・ツー・フュルステンシュタイン伯爵(1868~1921年)は、日本をはじめとする東洋の芸術に関心を寄せ、庭園の整備を進めました。園内には石灯籠や橋、池、水路、島などが配され、日本庭園の意匠を西洋の地に取り入れた工夫が見られます。宮殿公園には、英国式やフランス式、中国式の庭園も設けられていました。

池に映る木立と塔付き別館(公園内ヴィラ)
宮殿の南に広がる池。コンクリート製の太鼓橋や石灯籠が配され、和の趣を感じさせる。

日本文化の影響は庭園だけではありません。宮殿の建築や内装にも東洋美術に触発された意匠が取り入れられ、現在も装飾や木製階段などに当時の面影が残されています。庭園と宮殿の双方から、20世紀初頭のヨーロッパにおける日本美術への関心を知ることができます。

イウォワの日本庭園(Ogród Japoński w Iłowej)
所在公園:Park Dworski w Iłowej(宮殿公園)

Pałacowa 1, 68-120 Iłowa, Poland

https://www.ilowa.pl

  • お出かけの際には、必ず最新情報を施設の公式ウェブサイトでご確認いただくか、施設にお問い合わせください。

3つの世界遺産が語りかけるもの

ヴロツワフの百周年記念ホール、ヤヴォルの平和教会、そして国境を越えて広がるムジャクフ公園。それぞれの場所に刻まれた建築の革新、信仰を守る人々の思い、自然と人が織りなす景観。3つの世界遺産を巡る旅は、ポーランド西部の知られざる歴史と文化に触れ、新たな風景を心に刻む旅となりました。

◎ 取材協力

ポーランド政府観光局

公式サイト:https://www.poland.travel/ja/
X(旧Twitter):@PolandTravel_jp
Instagram:@polandtravel_jp

Lubuska Regionalna Organizacja Turystyczna “LOTUR”

公式サイト:https://lotur.eu/

小坂 伸一

Shinichi Kosaka

海外ガイドブック編集長を経て独立。現在はフォトグラファー・ライター・編集者として、企画から制作までトータルに手がけている。映画・ドラマのロケ地を巡る旅をライフワークに。雑誌連載を通じて、その魅力を発信中。